大阪占いサロン観音庵 Blog

3つの誤った見方

こんばんは龍徳です。

先日鑑定に来られたご新規様が「これも私の運命だから仕方ないです」と何度も連呼されていました。
ご自身の不安や今置かれている状況を何かのせいにしたい気持ちは良く理解できます。
しかしご自身の未来が運命で決められているとしたら誰も努力しなくなりませんか?

仏陀の残した経典に「3つの誤った見方」というものがあります。

1つは、ある人は、人間がこの世で経験するどのようなことも、すべて運命であると主張する。
2つは、ある人は、それはすべて神のみ業であると主張する。
3つは、またある人は、すべて因も縁もないものであるという。

1つ目の「もしもすべてが運命によって定まっている」のでしたら、良いことを行うのも悪いことを行うのもすべて運命であり、幸不幸もすべて運命となって運命以外は存在しないことになります。
ということは、希望や努力もなくなり世の中の進歩や変化も否定することになります。

2つめ目の「神によって定められている」というのも3つ目の「因も縁もないとする」のも同じ非難が浴びせられ悪を離れ、善をなそうという意思も努力も意味もすべてなくなってしまいます。

ですので3つの誤った見方はみな誤っている。
どんなことも縁によって生じ、縁によって滅びると言われております。

私は常に縁を意識しておりますが、その前に因(原因)があり縁になります。
ですので因(種)を育てるのが縁(条件)になります。

因を種、縁を条件として例にしますと、ある実のタネがあるとします。
そのタネを畑にまくことで芽を出し、水や肥料を与えることによって育ち、花をつけます。
その花は昆虫によって受粉し実を結びます。
その実を収穫して食物として頂きます。

しかしタネがあってもコンクリートの上にまいても芽は出てきません。
また畑にまかれても手入れをしなければ立派な実にはなりません。

反対に、ごく標準的なタネであっても良い土の畑にまき、適切なお世話をすればタネの持つ可能性を最大に発揮した実を収穫することもできます。

種は「因」、畑にまいたり水や肥料を与えたりすることが「縁」、実が「果」、実を収穫して食べることが「報」となります。

因は元々あったものですが、それにどんな条件(縁)を与えるかは意志や努力が関与します。
そしてそれによって結果(果報)が左右されます。

縁とはある程度までは作っていけるものになります。
例え悪い因があっても、よい縁を与えることによって結果を変えていくことができます。
また、実を収穫したくないと思えば、種の発芽をおさえるような縁を与えることもできます。

縁には良い縁も悪い縁もありますが、良い縁を作ることを「善根」といいます。
善根は善を植物の根にたとえたものです。
植物に養分を送り花や実をつけさせます。
善が人生によい果報をもたらすことを表しています。

私自身も人生は運命ではなく因や縁によって変わるものだと思っております。
少しでも伝わり、良いご縁になることを願いながら、お話させていただきました。

心安らぐ占いサロン観音庵京橋店
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