こんばんは龍徳です。
今回はちょっといつもと違うテイストになるかもしれませんがお読みください。
不倫
寺社仏閣に身を置き鑑定をされている方が「不倫の相談は全て断罪であり鑑定師としてはそれをきちんと伝えないのは鑑定師とは言えない」と仰っていました。
私も在家僧侶として仏につかえるものですし、私が学んでいる教えでも不倫は悪しきことだと書かれております。
しかし、是が非かという考えや断罪と言った言葉にはかなり違和感を感じてしまいます。
女性は年齢を重ねていくと愛だ恋だと言っていられなくなります。
いつしか母になることを優先し自分の人生を生きることよりも周りの家族の生活を考えて生きていく方が多いのです。
そしてそれが少し落ち着きやっと自分の人生とまた向き合うことができる時期が来ます。
その時にそこに自分が望む恋や愛が無かったと気が付いた時に、自分が望む恋や愛をを求めてしまうことは本当に罪なのでしょうか。
家族がいる、自分が選んだ事、そんなことは解っております。
それでも、幾つになっても本当に求める事に真剣になることに断罪されてしまうのでしょうか…
人は常に正しい行いをしているわけではありません。
正しい道ではなくても、贖罪を行わなければいけないとしても、真剣に恋や愛を選択する方の事を罪とは感じたくありません。
私は鑑定で不倫のお話を伺いながらいつもそんな事を思い、目の前に居る方のこれからの幸せを考えてしまいます。
幸せの形は人それぞれ。
裁きの結果は神のみぞ知る。
龍徳